アトリエ日和(ひより)  主宰 鯨 敏枝

鯨 敏枝 略歴


1991 真岡市にアトリエ日和設立 教室も開設

1994 西那須野町教会祭壇ステンドグラス窓制作

1996 鹿沼市ウェルネススイミングクラブステンドグラス窓制作

1997 二宮町庁舎玄関ステンドグラス窓制作

1999 ベルヴィ宇都宮教会祭壇ステンドグラス窓制作

2000 宇都宮ヴィラ・デ・マリアージュチャペル祭壇ステンドグラス窓制作

2001 二宮町どんとこい広場ステンドグラス窓制作

2002 県立宇都宮中央女子高玄関吹き抜けステンドグラス窓制作

2005 ジョイフル2宇都宮ステンドグラス講師

2005 栃木県芸術祭彫塑及び工芸部門入選以後13回入選)

2007 にのみや保育園玄関及び教室ステンドグラス窓制作

2008 第94回光風会入選(東京都新国立美術館)以後回入選

     二宮町久下田小学校玄関及びランチルームステンドグラス窓制作

2009 真岡市真岡小学校多目的ホールステンドグラス窓制作

2010 第20回日工会入選(東京都美術館)以後回入選

2012 東京都神楽坂アユミギャラリーにて3人展(パート・ド・ベール)

2015 結城市壱の蔵にて『今をつむぐ100枚の詩画展』

2016 宇都宮市東日本ホテルギャラリーにて5人展(パート・ド・ベール)

2018 益子町つかもと作家館にて5人展(パート・ド・ベール)

2019 「今詩展」を真岡市のカフェサロンらそすで4回に分けて開催

2023 鯨敏枝詩画集 春・夏・秋・冬・ときどき猫を出版(アマゾンで購入可


     その他個人住宅、商業施設等のステンドグラス窓を多数制作

【令和5年12月8日 真岡新聞掲載記事】

鯨敏枝氏の芸術~詩画集「春・夏・秋・冬・ときどき猫」に寄せて~

久保貞次郎研究所代表 渡辺美術館館長 渡辺淑寛


 鯨敏枝氏と初めてお会いしたのは、5年近く前、真岡新聞に「真髙の春の七草粥とK先生の思い出」という拙文を掲載して頂いた翌日であった。K先生の御子息様と奥様お二人で来館して下さり、ありがたくも掲載の謝辞を頂いた。お帰りになる際、奥様が、絵を描いていて、市内のレストランで個展を開いているのでお時間が有りましたら是非立ち寄って下さいとのお話だったので、翌日早速妻と個展会場を訪れた。

 作品を見て驚いた。比類無き色彩感である。後で知ったのだが、鯨氏は、32年前から、「ガラス工房アトリエ日和」を開設し、ステンドクラス等を作成し、光と色彩の世界で生きてきた画家であったのだ。この芸術性の高い「色彩感」はステンドグラス製作から人知れず獲得した才能に違いない。

 そして絵に添えられた短い文章も出色である。例えば薄紅色に描かれた曼殊沙華の上部余白に、「秋 曼殊沙華を観ていたら 狂ってもいい気がする」と書かれた作品がある。女性ならではの素晴らしい、恐ろしいほどの感受性だ。私も7年前の「真岡賛歌8,桜咲き、菜の花香る町 真岡」というエッセーの中で、菜の花の強い香りに包まれて「このまま別の世界にいってしまってもかまわない」と書いたが、「狂ってもいい」とまでは書けなかった。脱帽である。他にもはっとする短歌は多くあるが、幾つか紹介するに留めたい。「猫 体をなめる黒猫のペロリペロリと 舌はピンク」。文章の中に色彩を滲ませる事は高等技術と言われているが、見事に「黒」と「ピンク」が散りばめられている。「花 山でであった野菊の花は たおれそうでたおれない」。これは生命賛歌だ。「ある時 花は花 虫は虫 鳥は鳥 できることをしている」。これも生命賛歌であり、存在の賛歌だ。「猫 声の出なくなった老猫は喉を鳴らして嬉しいとしらせる」。これも動物への憐憫と愛情を伴った生命賛歌だ。

 鯨氏の詩画集「春・夏・秋・冬・ときどき猫」は、このようなはっとする短詩と色彩豊かな色とりどりの水彩画に溢れ、芸術性は驚く程高い。「ねぎの花 もぎる手濡れる 君の体液」という中村忠二(1898~1975)は、武蔵野の荒れ小屋で、拾い集めた紙に地を這うように、虫や草花の水彩画を多く残した。中村芸術を、草花と虫の「地の芸術」と見なせば、鯨芸術は、「光と色彩の芸術」と言って良いであろう。最後に、もう一遍の短詩を紹介して終わりにしたい。「ある時 草原に寝ころんでみたら こうするために生きている気がする」。澄み切った光と色彩の鯨芸術の中には、思想、哲学も潜んでいる。一見高尚に思える、人間の存在目的を我等の生活の片隅にまで、「こうするために生きている」と見事なまでに引き下ろしてくれたのだ、宝石のようにきらきら光る水彩画を携えて。

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